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スポーツの世界では、こうしたイメージトレーニングが盛んに行われ、実際に効果をあげているという。
たとえば野球選手がホームランを打とうとするとき、もうボールがスタンドに入ったところを想像して、イメージを逆戻しにしていく。
そしてバットに当たったところまで戻していって、そこからボールをちょっと押し出すと、ボールは今来たコースを戻って、スタンドに飛びこむ。
勉強もそれと同じ理屈だ。
夢のイメージをよりリアルに具体的に描いていくツールが、合格体験記というわけだ。
ここで考えてほしい。
あなたのゴールは何だろうか。
それは本気で心の底から望んでいることなのか。
何かを捨ててでも、手に入れたいものなのか。
本気で望んでいることはかなう、という。
それは、本気になることで集中するエネルギーが運を引き寄せるからだと思う。
本気で願いつづけると、その思いのエネルギーが集中し、ちょうどレーザー光線のようにエネルギーが集まり、運につながるバリアを突破できるのではないか。
念じるエネルギーが弱ければ、そのバリアは突破できない。
強く願いつづけた人だけがバリアを突破できる。
願いがかなうというのは、そういうことだ。
そのための勉強法をこれから紹介しよう。
どうすれば勉強ができるようになるのか─。
勉強に割く時間をとにかく増やすこと。
そう考えている人が案外、多いのではないだろうか。
その結果陥りがちなのが、「大量の問題をこなす」という最悪の方法である。
つまり、「たくさん勉強すればなんとかなるだろう」という考えに立った勉強法が、多くの人が考える一般的なやり方なのだ。
さらに言えば、自分は勉強ができると思っている人ほど、この方法に陥りやすいと思われる。
しかし私は、それではダメだと思っている。
たしかに何かの試験に挑戦する際、日本中に存在する問題をすべてやれば、合格する、というのは、ある意味で理屈にかなっている。
事実、私もこの考え方で高校、大学受験を成功させた。
だが、この方法が通用するのは、暗記やつめこみが主体の一部の試験にすぎない。
私は大学四年生のとき司法試験に挑戦し、見事に玉砕した。
なぜ司法試験にはそれまでの勉強法が通用しなかったのか。
考えてみれば当然である。
司法試験は苦節十何年でようやく合格する難関だ。
それを一年、二年の短期で合格しようというのだから、量をこなす時間が圧倒的に足りなかったのだ。
量ではなく、質で勝負しなければいけなかった。
だが、質とは何だろう?人と同じことをしていては合格できない。
人と違っており、しかもそれが正しい結果に向かっていくのが、質の高い真の勉強法だとしても、はたして誰もやったことがない、そんな勉強法があるのだろうか。
司法試験に再度挑戦することになり、量をこなす私の勉強法は、あらためなければならなくなった。
私は発想を変えた。
要するに限られた時間内で成果をあげるにはどうしたらいいのかと考えたのだ。
私が司法試験に挑戦した二年目は、この質の高い勉強法を徹底して追求しつづけた一年間だったと言ってもいい。
その結果、徹底的に合理性を追求する勉強法を実践することにした。
合理的な勉強法として私がまず考えたのは「全体像をつかむ」ということだった。
私の塾の成績がいいものだから、よく教育関係者から質問される。
「伊藤先生のところでは、いったいどんな教え方をしているんですか」基本は簡単だ。
まず全体から考えることを徹底して教えている。
全体像をつねに意識するのである。
考えてもみてほしい。
木ばかり見て、森を見ないから、道に迷うのだ。
目的地にたどりつきたければ、木を見ながら、森全体を見ておかなければならない。
これは受験勉強に限った話ではない。
仕事の進め方やスケジュール管理においても、また本の読み方や人生の夢についても言えることだ。
徹底的に「全体像を意識すること」によって、道に迷わなくなるのだ。
もしあなたが、一年後の司法試験に向けて勉強を始めるとしたら─。
たとえば、2010年まで続く従来の司法試験では、択一式試験で三科目(憲法、民法、刑法)、論文式試験で六科目(憲法、民法、刑法、商法、民事訴訟法、刑事訴訟法)、そして口述試験で三科目(憲法、民事系、刑事系)の知識が要求される。
また、法科大学院卒業生が受ける新司法試験では、六法に行政法を加えた七科目の択一試験と、さらに選択科目を加えた八科目の論文試験に通らなければならない。
これだけの膨大な量を勉強しなければならないのだから、ひとつひとつ取りかかっていたのでは、いつまでたってもすべてを修得することはできない。
やっとのことで全部覚えたとしても、そのときには法律自体が改正されている場合もあるし、日々新しい判例も出てくる。
だから、勉強では「体系」を考えることが重要になってくる。
何かを学ぶときには、まず全体を意識する。
「木を見て森を見ず」ではなく、森から見ていくのだ。
そうやって勉強していくと、物事を外から見られるようになってくる。
ぼんやりと、憲法なり民法なりの「形」が見えてくる。
憲法というのはこういう格好、民法はこういう形、刑法はこんな姿……というふうに、勉強しているものの「全体像」を自分なりにイメージできるようになったとき、わかったという状態になるのだろう。
勉強して得られるものというのは、つねにこういった「全体像」ではないかと思う。
これは、司法試験の勉強に限ったことではない。
どんな試験でも仕事でも、「こんなにたくさんの量を覚えられない」とか「難しすぎる」と感じたとき、つねに意識してほしい考え方だ。
ところで、全体像をつかむ勉強法のひとつとしておすすめしたいのが、目次をコピーするやり方だ。
私は二年目に司法試験の勉強を始めたとき、まず本の目次をコピーした。
何のために、と思うだろう。
答えは明快だ。
マップがわりに使うのである。
本を読みながら、ときどきコピーした目次を見て、自分が今どこを読んでいるのか、全体の中の位置づけを確認する。
それならわざわざコピーせずとも、前のほうにある目次を見ればいいと思うかもしれない。
しかし、その考えは甘い。
いちいちページを戻って目次を見ていたのでは効率が悪いではないか。
それに思考が中断される。
コピーした目次を目の前に置き、つねに全体を意識しながら読むことに意味があるのだ。
ここまではこうだった、今はここである、と自分が読んでいる場所をひとつひとつ確認しながら読み進む。
そうすることで、今読んでいる場所と全体像の位置関係がわかる。
コピーした目次を地図にして現在地を確認していくのだ。
理解するとはどういうことか?「具象」と「抽象」を行き来することだ。
一本一本の木を見ながら、森全体を見ていくということである。
目次を見ながら、1ベーシずつ読み進んでいく。
それは今自分が読んでいるこの内容が、全体の中でどういう意味を持つのかを確認する作業でもある。
すると、その本が訴えたいこと、書かれている内容を鳥瞰図的かつ詳細に理解することができるのだ。
理解するとはそういうことだ。
ちなみに目次のコピーはしおりがわりにして、本にはさんでおくとよい。
いつでも取り出せるし、再び読みはじめるとき、自分の位置を確認してスタートすることができるからだ。
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